学校開放で、10分間の説教タイム
先日、小学2年の長男の通う小学校が学校開放週間ということで、妻が授業を見学に行ったそうなのですが・・・
授業をのぞくと、担任の教師が、授業を中断し、長男をネチネチと10分ほど怒り続け、
長男は固まり、最終的には泣き出したそうです・・・
あとで担任に理由を聞くと、
「下敷きを持ってきておらず、忘れたのに報告しない、借りようとしない。言うことを聞かない」
ということだったそうです。
妻が言うには、昨年は下敷きを持って行っても本人が使わないし、授業中に遊んだりするのでずっと持たせなかったとのこと。
昨年の担任の方はそこそこベテランだったためか、何も言われず、問題にもなりませんでした。
ところが、担任が変わると「持ってくる物リスト」に下敷きが入ってるからと怒られたわけです。
それにしても、もう6月ですよ。2ヶ月ずっと持って行かなかったのにいまさらです。
「下敷き」ってそもそも必要なの??
そもそもですが、「下敷き」は不可欠なものなのでしょうか
中学・高校・大学入試では使うことができないわけですし、どうでも良いものだと思うのですが。
担任教師が2ヶ月間も気づかなかった時点で、必要物とは言えないのでしょう。
正直、そんなくだらない理由で10分も怒る意味が理解できません。
私個人が理不尽に怒られた体験
私が小学校低学年の頃、親がだらしないせいで毎日忘れ物をしていました。
ポケットティッシュとハンカチを毎日持っていくことになっていたのですが、家に無かったので小学校へ持って行けなかったんですね。
当時の担任はポケットティッシュとハンカチのチェックを毎日行い、その「忘れ物」で毎日怒りました。
毎日忘れ物の数をチェックされ、毎週だったと思いますが、帰りの会で「忘れ物王」などと吊るし上げにされていました。
家に無いものは持っていけませんし、どこが「忘れ物」なのでしょうね。いま思うと理不尽極まりない話です。そんなことで10歳に満たない子供の人格を否定するようなことをしていた教師に対しては、今更ながら憤りを感じずにはいられません。
教育効果を考えて怒っているのか
低学年の子供が、自分に起因しないことで怒られ、嫌な思いをさせられる。自尊感情を損なわれる。
そこにどんな教育効果があるのでしょうか。
長男の担任の方には、今度しっかりお話を伺いたいと思います。
「叱る」と「怒る」
さて、表題の「叱る」と「怒る」ですが、私は便宜上、「叱る」と「怒る」を違う言葉・行為として扱っています。
「叱る」は理由を述べて、なぜそれが悪い行為なのか諭す行為
「怒る」は自分の悪感情を相手にぶつける行為
教育に関わる人間としては、前者の態度を常に意識すべきでしょうね。
※あくまで「便宜上、位置付けている」だけですから、「そもそも『叱る』にそのような意味はない」といったご指摘は不要です。
私も、自分自身の子供を厳しく叱りますし、生徒さんを叱ることもあります。
ただ、それは
「叱る必要がある場合」
に限りますし、
「叱る際は、叱る理由をきちんと説明する」
ということを徹底します。
叱る理由や意味、目的をきちんと説明する
叱られる方からすると少々くどいかもしれませんが、私自身が親や小~高校の先生などから「怒られる」場合に、きちんとした理由を説明されず、納得がいかないことが多かったので、「なぜこのような話をしているのか」「なぜあなたの行為が問題なのか」「その問題がどう悪影響を及ぼすのか」「行為を変えていくことで、どうプラスになるのか」などを必ず説明します。もちろん、こういった「理屈っぽさ」が苦手な生徒さんには控えめにしますが。もし、相手にきちんと説明できないのであれば、それは自分の感情に振り回された「怒り」なのでしょう。
感情に振り回されない
近年は、アンガーマネジメントといった言葉も聞くようになり、「怒り」と上手に向き合うことに目が向けられています。
私自身も元々短気な方でしたが、コントロールする努力を少しずつ続けているので、かなり改善されたように感じます。
昨年、感情のままに振る舞う人間を見て、「こうはなるまい」と反面教師にできたことも大きいでしょうか。
昔に比べると「自分の感情のままに生徒に当たる教師」というのも減っていると思いたいところですが・・・我が子の件もそうですし、生徒さんからもそういう教師の話はよく耳にしますので減ってはいないのでしょうね。残念です。